判決内容(抜粋)

最高裁昭和59年4月27日第二小法廷判決
 民法九一五条一項本文が相続人に対し単純承認若しくは限定承認又は放棄をするについて三か月の期間(以下「熟慮期間」という。)を許与しているのは、相続人が、相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った場合には、通常、右各事実を知った時から三か月以内に、調査すること等によって、相続すべき積極及び消極の財産(以下「相続財産」という。)の有無、その状況等を認識し又は認識することができ、したがって単純承認若しくは限定承認又は放棄のいずれかを選択すべき前提条件が具備されるとの考えに基づいているのであるから、熟慮期間は、原則として、相続人が前記の各事実を知った時から起算すべきものであるが、相続人が、右各事実を知った場合であっても、右各事実を知った時から三か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって、相続人において右のように信ずるについて相当な理由があると認められるときには、相続人が前記の各事実を知った時から熟慮期間を起算すべきであるとすることは相当でないものというべきであり、熟慮期間は相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時から起算すべきものと解するのが相当である。
 これを本件についてみるに、原審が適法に確定した事実及び本件記録上明らかな事実は、次のとおりである。
 1 第一審被告亡D(以下「亡D」という。)は、昭和五二年七月二五日、上告人との間で、Eの上告人に対する一〇〇〇万円の準消費貸借契約上の債務につき、本件連帯保証契約を締結した。
2 本件の第一審裁判所は、昭和五五年二月二二日、上告人が亡Dに対して本件連帯保証債務の履行を求める本訴請求を全部認容する旨の判決を言い渡したが、亡Dが右判決正本の送達前の同年三月五日に死亡したため、本件訴訟手続は中断した。そこで、上告代理人が同年七月二八日に受継の申立をしたが、第一審裁判所は、昭和五六年二月九日亡Dの相続人である被上告人らにつき本件訴訟手続の受継決定をしたうえ、被上告人B1に対して同年二月一二日に、被上告人B2に対して同月一三日に、被上告人B3に対して同年三月二日に、それぞれ右受継申立書及び受継決定正本とともに第一審判決正本を送達した。もっても、被上告人B3は、同年二月一四日に被上告人B2から右送達の事実を知らされていた。
3 ところで、亡Dの一家は、同人が定職に就かずにギャンブルに熱中し家庭内のいさかいが絶えなかったため、昭和四一年春に被上告人B1が家出し、昭和四二年秋には亡Dの妻が被上告人B2、同B3を連れて家出して、以後は被上告人らと亡Dとの間に親子間の交渉が全く途絶え、約一〇年間も経過したのちに本件連帯保証契約が締結された。その後、亡Dは、生活保護を受けながら独身で生活していたが、本件訴訟が第一審に係属中の昭和五四年夏、医療扶助を受けて病院に入院し、昭和五五年三月五日病院で死亡した。被上告人B1は、同人の死に立ち会い、また、被上告人B2、同B3も右同日あるいはその翌日に亡Dの死亡を知らされた。しかし、被上告人B1は、民生委員から亡Dの入院を知らされ、三回ほど亡Dを見舞ったが、その際、同人からその資産や負債について説明を受けたことがなく、本件訴訟が係属していることも知らされないでいた。当時、亡Dには相続すべき積極財産が全くなく、亡Dの葬儀も行われず、遺骨は寺に預けられた事情にあり、被上告人らは、亡Dが本件連帯保証債務を負担していることを知らなかったため、相続に関しなんらかの手続をとる必要があることなど全く念頭になかった。ところが、被上告人らは、その後約一年を経過したのちに、前記のとおり、第一審判決正本の送達を受けて初めて本件連帯保証債務の存在を知った。
4 そこで、被上告人らは、第一審判決に対して控訴の申立をする一方、昭和五六年二月二六日大阪家庭裁判所に相続放棄の申述をし、同年四月一七日同裁判所はこれを受理した。
右事実関係のもとにおいては、被上告人らは、亡Dの死亡の事実及びこれにより自己が相続人となった事実を知った当時、亡Dの相続財産が全く存在しないと信じ、そのために右各事実を知つた時から起算して三か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったものであり、しかも被上告人らが本件第一審判決正本の送達を受けて本件連帯保証債務の存在を知るまでの間、これを認識することが著しく困難であつて、相続財産が全く存在しないと信ずるについて相当な理由があると認められるから、民法九一五条一項本文の熟慮期間は、被上告人らが本件連帯保証債務の存在を認識した昭和五六年二月一二日ないし同月一四日から起算されるものと解すべきであり、したがって、被上告人らが同月二六日にした本件相続放棄の申述は熟慮期間内に適法にされたものであつて、これに基づく申述受理もまた適法なものというべきである。それゆえ、被上告人らは、本件連帯保証債務を承継していないことに帰するから、上告人の本訴請求は理由がないといわなければならない。
そうすると、原審が、民法九一五条一項の規定に基づき自己のために相続の開始があったことを知ったというためには、相続すべき積極又は消極財産の全部あるいは一部の存在を認識することを要すると判断した点には、法令の解釈を誤つた違法があるものというべきであるが、被上告人らの本件相続放棄の申述が熟慮期間内に適法にされたものであるとして上告人の本訴請求を棄却したのは、結論において正当であり、論旨は、結局、原判決の結論に影響を及ぼさない部分を論難するものであって、採用することができない。

前提知識と簡単な解説

相続の承認及び放棄について

相続は、被相続人の死亡によって開始し(民法882条)、相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継するものとされています(民法896条本文)。
一方で、相続人は相続の承認又は放棄の選択をすることが認められており、相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内に(「熟慮期間」といいます。)、相続について承認又は放棄をすることができます(民法915条1項本文)。
相続人が単純承認をしたとき(民法920条)、又は熟慮期間内に限定承認若しくは相続放棄をしなかったとき(民法921条2号)は、相続人は確定的に被相続人の権利義務を承継することになります。
相続の承認又は放棄をした場合は、熟慮期間内であっても、撤回することはできません(民法919条1項)。

熟慮期間の起算点について、民法915条1項本文は、「自己のために相続の開始があったことを知った時」と規定していますが、判例は、相続開始の原因たる事実の発生を知っただけでは足りず、それによって自己が相続人となったことを確知した時をいう、と解していました(大審院大正15年8月3日決定)。

本判決の位置付け

本判決は、前記大審院大正15年8月3日決定が判示する起算点の考え方を踏襲しつつ、例外的に、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたために相続人が熟慮期間内に限定承認又は相続放棄をしなかったという場合であり、かつ相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって、相続人においてこのように信ずるについて相当な理由があると認められるときは、熟慮期間の起算点を「相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時」としています。