事案の概要
以下は、判決文からの抜粋です(省略や表現を簡略化している部分があります。)。- 被上告人Xは、カラオケ店などの経営を業とする株式会社である。Y1は、中小企業等協同組合法に基づいて設立された事業協同組合であり、昭和42年、原判決別紙物件目録1記載の建物(以下「本件ビル」という。)を建築し、その所有権を取得した。なお、Y1は、平成8年、総会の決議により解散し、その代表理事であった上告人Y2がY1の清算人に就任した。
- Y1は、Xに対し、平成4年3月5日、期間を平成5年3月4日まで、賃料を月額20万円、使用目的を店舗として、本件ビルの地下1階にある原判決別紙物件目録2記載の建物部分(以下「本件店舗部分」という。)を貸し渡した(以下、この契約を「本件賃貸借契約」という。)。本件賃貸借契約は、その後、平成5年3月5日に期間を平成6年3月4日まで、平成6年3月5日に期間を平成7年3月4日までとしてそれぞれ更新され、同日に賃貸借期間が満了したが、その継続に関する協議が成立しないまま、Xは本件店舗部分でのカラオケ店営業を継続した。
- 本件ビルにおいては、平成4年9月ころから、本件店舗部分に浸水が頻繁に発生し、浸水の原因が判明しない場合も多かった。
- 平成9年2月12日、排水用ポンプの制御系統の不良又は一時的な故障が原因となって、本件店舗部分が床上30~50cmまで浸水した(以下「本件事故」という。)。本件ビルの地下1階では、同月17日にも同様の場所から汚水が出水し、同程度に本件店舗部分が浸水した。Xは、本件事故以降、本件店舗部分でのカラオケ店の営業ができなくなった。
- Y1は、平成9年2月18日付け書面をもって、被上告人に対し、本件ビルの老朽化等を理由として、本件賃貸借契約を解除し、明渡しを求める旨の意思表示をし、同書面は、そのころXに到達した。Y2は、本件事故直後より、Xからカラオケ店の営業を再開できるように本件ビルを修繕するよう求められていたが、これに応じず、上記解除により本件賃貸借契約は即時解除されたと主張して、Xに対して本件店舗部分からの退去を要求し、本件ビル地下1階部分の電源を遮断するなどした。
- 本件ビルについては、平成9年1月、調査会社により、大規模改装に向けての設備及び建物状態の調査が実施されたが、そのビル診断報告書には、①電気設備については、今後思わぬ事故等の発生が懸念され、改装後の電力需要に合わせて全体的に更新する必要がある、②給水設備は、全体的にさびによる腐食が進行しており、このまま使用すると漏水の懸念があり、周辺機器も含めて継続使用が難しい状態と判断される、③排水設備については、排水配管は全体的に更新する必要があると判断され、その他汚水配管、排水槽等は改装時に調査の上、その仕様に合わせた改修及び清掃等が必要と思われるなどと記載されていた。
このように、本件ビルは、本件事故前、老朽化により大規模な改装とその際の設備の更新の必要があったが、直ちに大規模な改装及び設備の更新をしなければ当面の利用に支障が生じるものではなく、本件店舗部分を含めて朽廃等の事由による使用不能の状態にはなっていなかった。 - Xは、本件店舗部分における営業再開のめども立たないため、平成10年9月14日、Y1は被上告人の営業が再開できるように本件ビルを修繕すべき義務(以下「本件修繕義務」という。)があるのに履行しないなどと主張して、営業利益喪失等による損害賠償を求める本件本訴を提起した。これに対し、Y1は、本件修繕義務の存在を否定し、さらに、被上告人に対し、平成11年9月13日、賃料不払等を理由として本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、本件店舗部分の明渡しを求めた。
- 被上告人は、平成9年5月27日、本件事故によるカラオケセット等の損傷に対し、Aとの間で設備什器を目的として締結していた保険契約に基づき、損害保険金として3109万6946円、臨時費用保険金として500万円、取片付費用保険金として101万9700円の支払を受けたが、これらの保険金の中には営業利益損失に対するものは含まれていなかった。
原審は、Y1により行われた本件賃貸借契約解除の意思表示はいずれも無効であるとして、Y1の被上告人に対する建物明渡等反訴請求を棄却するとともに、次のとおり判示して、XのYらに対する損害賠償請求を一部認容すべきものとした。
(1) Y1は、Xに対し、本件事故後も引き続き賃貸人として本件店舗部分を使用収益させるために必要な修繕義務を負担しているにもかかわらず、その義務を尽くさなかった。また、Y2には、本件修繕義務の不履行について、Y1の代表者としての職務を行うにつき中小企業等協同組合法38条の2第2項所定の重大な過失があったというべきである。
(2) Xは、本件事故の日から本件店舗部分でのカラオケ店営業ができなかったから、Yらに対し、本件事故の日の1か月後である平成9年3月12日からXの求める損害賠償の終期である平成13年8月11日までの4年5か月間の得べかりし営業利益3104万2607円(1年間702万8515円)を喪失したことによる損害賠償を請求する権利を有する。
本判決の内容(抜粋)
- 最高裁平成21年1月19日第二小法廷判決
しかしながら、本件事故の日の1か月後である平成9年3月12日から平成13年8月11日までの間の営業利益の喪失による損害につきそのすべての賠償を請求する権利があるとする原審の上記3(2)の判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 事業用店舗の賃借人が、賃貸人の債務不履行により当該店舗で営業することができなくなった場合には、これにより賃借人に生じた営業利益喪失の損害は、債務不履行により通常生ずべき損害として民法416条1項により賃貸人にその賠償を求めることができると解するのが相当である。
(2) しかしながら、前記事実関係によれば、本件においては、①平成4年9月ころから本件店舗部分に浸水が頻繁に発生し、浸水の原因が判明しない場合も多かったこと、②本件ビルは、本件事故時において建築から約30年が経過しており、本件事故前において朽廃等による使用不能の状態にまでなっていたわけではないが、老朽化による大規模な改装とその際の設備の更新が必要とされていたこと、③Y1は、本件事故の直後である平成9年2月18日付け書面により、被上告人に対し、本件ビルの老朽化等を理由に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をして本件店舗部分からの退去を要求し、被上告人は、本件店舗部分における営業再開のめどが立たないため、本件事故から約1年7か月が経過した平成10年9月14日、営業利益の喪失等について損害の賠償を求める本件本訴を提起したこと、以上の事実が認められるというのである。これらの事実によれば、Y1が本件修繕義務を履行したとしても、老朽化して大規模な改修を必要としていた本件ビルにおいて、被上告人が本件賃貸借契約をそのまま長期にわたって継続し得たとは必ずしも考え難い。また、本件事故から約1年7か月を経過して本件本訴が提起された時点では、本件店舗部分における営業の再開は、いつ実現できるか分からない実現可能性の乏しいものとなっていたと解される。他方、被上告人が本件店舗部分で行っていたカラオケ店の営業は、本件店舗部分以外の場所では行うことができないものとは考えられないし、前記事実関係によれば、被上告人は、平成9年5月27日に、本件事故によるカラオケセット等の損傷に対し、合計3711万6646円の保険金の支払を受けているというのであるから、これによって、被上告人は、再びカラオケセット等を整備するのに必要な資金の少なくとも相当部分を取得したものと解される。
そうすると、遅くとも、本件本訴が提起された時点においては、被上告人がカラオケ店の営業を別の場所で再開する等の損害を回避又は減少させる措置を何ら執ることなく、本件店舗部分における営業利益相当の損害が発生するにまかせて、その損害のすべてについての賠償を上告人らに請求することは、条理上認められないというべきであり、民法416条1項にいう通常生ずべき損害の解釈上、本件において、被上告人が上記措置を執ることができたと解される時期以降における上記営業利益相当の損害のすべてについてその賠償を上告人らに請求することはできないというべきである。
(3) 原審は、上記措置を執ることができたと解される時期やその時期以降に生じた賠償すべき損害の範囲等について検討することなく、被上告人は、本件修繕義務違反による損害として、本件事故の日の1か月後である平成9年3月12日から本件本訴の提起後3年近く経過した平成13年8月11日までの4年5か月間の営業利益喪失の損害のすべてについて上告人らに賠償請求することができると判断したのであるから、この判断には民法416条1項の解釈を誤った違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
前提知識と簡単な解説
賃貸人の修繕義務と債務不履行について
賃貸人は、賃借人に対して目的物を使用収益させる義務を負っており(民法601条)、目的物の使用及び収益に必要な修繕をする義務があります(平成29年改正前民法606条1項)。債務者がその債務を履行しない場合には、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求をすることができ(平成29年改正前民法415条前段)、したがって、賃貸人が修繕義務を履行しない場合には、賃貸人は損害賠償責任を負うことになります。
損害賠償の範囲については、民法416条がこれを規定しており、同条1項において、債務の不履行に対する損害賠償の請求は、これによって「通常生ずべき損害」の賠償をさせることをその目的とすると定め、同条2項が、特別の事情によって生じた損害であっても、当事者がその事情を予見することができたときには、債権者は、その賠償を請求することができると定めていました(改正前民法416条)。
本判決が述べるとおり、一般論として、事業用店舗の賃借人が、賃貸人の債務不履行により当該店舗で営業することができなくなった場合には、これにより賃借人に生じた営業利益喪失の損害は、債務不履行により通常生ずべき損害として民法416条1項により賃貸人にその賠償を求めることができるものと考えられます。