事案の概要
- Dは、昭和62年1月5日付け自筆証書により全財産を被上告人Y(長男)に遺贈する旨の遺言をした後、同月26日に死亡した。
- Dの相続人は、Y、E(次男)及び上告人X(次女)の三名である。
- Dの遺産である本件不動産につき、同年7月2日までに、本件遺言に基づきYに対する所有権移転登記が経由された。
- Xは、同月30日、Yに対して遺留分減殺請求権を行使する旨の意思表示をした。
- 右遺留分減殺の結果、Xは、本件不動産についていずれも持分を取得した。
- 原審口頭弁論終結時における右持分の価額は合計2272万8231円である。
原審は、上記事実関係の下において、YはXに対して本件不動産の前記持分の返還義務(持分移転登記義務)を負うが、右義務は価額の弁償の履行又は弁済の提供によって解除条件的に条件付けられているとして、予備的請求のうち本件不動産に関する部分については、「Xが本件不動産について前記持分権を有することを確認する(主文第一項1)。Yは、Xに対し、右持分について所有権移転登記手続をせよ(同2)。Yは、Xに対し2272万8231円を支払ったときは、前項の所有権移転登記義務を免れることができる(同3)。Xのその余の請求を棄却する。」旨の判決を言い渡した。
本判決の内容(抜粋)
- 最高裁平成9年2月25日第三小法廷判決
- 主文
一 原判決主文第一項の2及び3を次のとおり変更する。
1 被上告人は、上告人に対し、被上告人が上告人に対して民法一〇四一条所定の遺贈の目的の価額の弁償として二二七二万八二三一円を支払わなかったときは、第一審判決添付第一目録記載の各不動産の原判決添付目録記載の持分につき、所有権移転登記手続をせよ。
2 上告人のその余の請求を棄却する。
二 その余の本件上告を棄却する。
三 訴訟の総費用はこれを五分し、その二を上告人の負担とし、その余を被上告人の負担とする。
理由(抜粋)
1 一般に、遺贈につき遺留分権利者が減殺請求権を行使すると、遺贈は遺留分を侵害する限度で失効し、受遺者が取得した権利は右の限度で当然に減殺請求をした遺留分権利者に帰属するが、この場合、受遺者は、遺留分権利者に対し同人に帰属した遺贈の目的物を返還すべき義務を負うものの、民法一〇四一条の規定により減殺を受けるべき限度において遺贈の目的物の価額を弁償して返還の義務を免れることができる。もっとも、受遺者は、価額の弁償をなすべき旨の意思表示をしただけでは足りず、価額の弁償を現実に履行するか、少なくともその履行の提供をしなければならないのであって、弁償すべき価額の算定の基準時は原則として弁償がされる時と解すべきである。さらに、受遺者が弁償すべき価額について履行の提供をした場合には、減殺請求によりいったん遺留分権利者に帰属した権利が再び受遺者に移転する反面、遺留分権利者は受遺者に対して弁償すべき価額に相当する額の金銭の支払を求める権利を取得するものというべきである(最高裁昭和五〇年(オ)第九二〇号同五一年八月三〇日第二小法廷判決・民集三〇巻七号七六八頁、最高裁昭和五三年財第九〇七号同五四年七月一〇日第三小法廷判決・民集三三巻五号五六二頁参照)。
2 減殺請求をした遺留分権利者が遺贈の目的物の返還を求める訴訟において、受遺者が事実審口頭弁論終結前に弁償すべき価額による現実の履行又は履行の提供をしなかったときは、受遺者は、遺贈の目的物の返還義務を免れることはできない。しかしながら、受遺者が、当該訴訟手続において、事実審口頭弁論終結前に、裁判所が定めた価額により民法一〇四一条の規定による価額の弁償をなすべき旨の意思表示をした場合には、裁判所は、右訴訟の事実審口頭弁論終結時を算定の基準時として弁償すべき額を定めた上、受遺者が右の額を支払わなかったことを条件として、遺留分権利者の目的物返還請求を認容すべきものと解するのが相当である。
けだし、受遺者が真に民法一〇四一条所定の価額を現実に提供して遺留分権利者に帰属した目的物の返還を拒みたいと考えたとしても、現実には、遺留分算定の基礎となる遺産の範囲、遺留分権利者に帰属した持分割合及びその価額の算定については、関係当事者間に争いのあることも多く、これを確定するためには、裁判等の手続において厳密な検討を加えなくてはならないのが通常であるから、価額弁償の意思を有する受遺者にとっては民法の定める権利を実現することは至難なことというほかなく、すべての場合に弁償すべき価額の履行の提供のない限り価額弁償の抗弁は成立しないとすることは、同法条の趣旨を没却するに等しいものといわなければならない。したがって、遺留分減殺請求を受けた受遺者が、単に価額弁償の意思表示をしたにとどまらず、進んで、裁判所に対し、遺留分権利者に対して弁償をなすべき額が判決によって確定されたときはこれを速やかに支払う意思がある旨を表明して、弁償すべき額の確定を求める旨を申し立てたという本件のような場合においては、裁判所としては、これを適式の抗弁として取り扱い、判決において右の弁償すべき額を定めた上、その支払と遺留分権利者の請求とを合理的に関連させ、当事者双方の利害の均衡を図るのが相当であり、かつ、これが法の趣旨にも合致するものと解すべきである。
3 この場合、民法一〇四一条の条文自体からは、一般論として、原判決主文第一項3のように受遺者が現物返還の目的物の価額相当の金員を遺留分権利者に支払ったときは登記義務を免れると理解することにさして問題はないけれども、現実に争いとなってこれを解決すべき裁判の手続においては、何時までにその主張をなすべきか、その価額の評価基準日を何時にするか、執行手続をいかにすべきか等の手続上の諸問題を無視することができない。その意味では、原判決主文第一項3のごとき判決は法的安定性を害するおそれがあり、その是正を要するものといわなければならない。一方、受遺者からする本件価額確定の申立ては、その趣旨からして、単に価額の確定を求めるのみの申立てであるにとどまらず、その確定額を支払うが、もし支払わなかったときは現物返還に応ずる趣旨のものと解されるから、裁判所としては、その趣旨に副った条件付判決をすべきものということができる。弁償すべき価額を裁判所が確定するという手続を定めることは、この手続の活用により提供された価額の相当性に関する紛争が回避され、遺留分権利者の地位の安定にも資するものであって、法の趣旨に合致する。
4 なお、遺留分権利者からの遺贈の目的物の返還を求める訴訟において目的物返還を命ずる裁判の内容が意思表示を命ずるものである場合には、受遺者が裁判所の定める額を支払ったという事実は民事執行法一七三条所定の債務者の証明すべき事実に当たり、同条の定めるところにより、遺留分権利者からの執行文付与の申立てを受けた裁判所書記官が受遺者に対し一定の期間を定めて右事実を証明する文書を提出すべき旨を催告するなどの手続を経て執行文が付与された時に、同条一項の規定により、意思表示をしたものとみなされるという判決の効力が発生する。また、受遺者が裁判所の定める額について弁償の履行の提供をした場合も、右にいう受遺者が裁判所の定める額を支払った場合に含まれるものというべきであり、執行文付与の前に受遺者が右の履行の提供をした場合には、減殺請求によりいったん遺留分権利者に帰属した権利が再び受遺者に移転する反面、遺留分権利者は受遺者に対して右の額の金銭の支払を求める権利を取得するのである。
五 そこで、以上の見解に立って本件をみるのに、上告人は遺留分減殺により本件不動産について原判決添付目録記載の割合による持分を取得したが、受遺者である被上告人は原審において裁判所が定めた価額により民法一〇四一条の規定に基づく価額の弁償をなすべき旨の意思を表明して弁償すべき額の確定を求める旨の申立てをしており、原審口頭弁論終結時における右持分の価額は二二七二万八二三一円であるというのであるから、被上告人が同条所定の遺贈の目的の価額の弁償として右同額の金員を支払わなかったことを条件として、上告人の持分移転登記手続請求を認容すべきである。
前提知識と簡単な解説
遺留分
遺留分とは、一定の相続人のために留保されなければならない遺産の一定割合をいいます。遺留分は、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加えた額から債務の全額を控除して、これを算定します(民法1029条1項)。
遺留分権利者及びその承継人は、遺留分を保全するのに必要な限度で、遺贈及び1030条に規定する贈与の減殺を請求することができます(民法1031条)。
価額による弁償
受贈者及び受遺者は、減殺を受けるべき限度において、贈与又は遺贈の目的の価額を遺留分権利者に弁償して返還の義務を免れることができます(民法1041条1項)。
特定物の遺贈につき履行がされた場合において民法1041条の規定により受遺者が返還の義務を免れる効果を生ずるためには、「受遺者において遺留分権利者に対し価額の弁償を現実に履行し又は価額弁償のための弁済の提供をしなければならず、単に価額の弁償をすべき旨の意思表示をしただけでは足りない」と解されています(最高裁昭和54年7月10日第三小法廷判決)。
価額弁償の算定の基準時は、「現実に弁償がされる時であり、遺留分権利者において当該価額弁償を請求する訴訟にあっては現実に弁償がされる時に最も接着した時点としての事実審口頭弁論終結の時である」と解されています(最高裁昭和51年8月30日第二小法廷判決)。
本判決の意義
本件では、遺留分権利者からの不動産の持分移転登記手続請求訴訟において、受遺者が価額弁償をする意思があることを表明した場合に、弁償すべき価額を確定した上で、条件付の判決をすることができるかどうかが問題となりました。
本判決は、「遺留分減殺請求を受けた受遺者が、単に価額弁償の意思表示をしたにとどまらず、進んで、裁判所に対し、遺留分権利者に対して弁償をなすべき額が判決によって確定されたときはこれを速やかに支払う意思がある旨を表明して、弁償すべき額の確定を求める旨を申し立てたという本件のような場合においては、裁判所としては、これを適式の抗弁として取り扱い、判決において右の弁償すべき額を定めた上、その支払と遺留分権利者の請求とを合理的に関連させ、当事者双方の利害の均衡を図るのが相当であり、かつ、これが法の趣旨にも合致する」と判示しました。
追記:平成30年民法(相続関係)改正について
平成30年民法改正により、遺留分権利者の権利行使によって金銭債権が生ずるものとされました(民法1046条の解説を参照)。