事案の概要

  • 上告人Xは、昭和49年7月頃、Dとの間で、昭和42年頃以来引渡を受けて使用してきた本件土地を代金360万円で買受ける旨の売買契約(以下「本件売買」という。)を締結し、昭和49年12月2日までに右代金全額を支払った。
  • XはDが司法書士であったので本件売買に基づく所有権移転登記手続を同人に依頼していたが、同人はその手続をしないまま、昭和52年9月16日に急死した。
  • Dは右死亡前の同年1月25日、E社に対し本件土地を二重に売り渡した。
  • Dの相続人は被上告人Yら三名であったが、Yらは、同年12月16日、家庭裁判所に対しDの相続に関し限定承認の申述をし、右申述は昭和53年1月26日に受理された(以下「本件限定承認」という。)。
  • Eは同年5月2日、Fに対し本件土地を売り渡した。
  • Yらは、本件土地につき共同相続登記をしたうえ、同月12日、DのEに対する前記売買の履行として、Fに対し所有権移転登記(以下「本件登記」という。)をした。

Xは、Yに対し、(1) Yらが本件限定承認の申述に際し同家庭裁判所に提出した財産目録には本件売買に伴ってDがXに対し負担していた相続債務の記載が脱漏していたため、本件限定承認は無効であり、Yは、単純承認をしたことになるから、本件売買に基づく所有権移転登記義務を承継した、(2) しかるに、YらはFに対して本件登記をしたものであって、右は、Xの本件土地の買主としての権利を侵害する不法行為であるとともに、右登記義務の履行を不能とする債務不履行である、(3) よって、XはYらに対し、第一次的に不法行為を理由とし、第二次的に債務不履行を理由とし、損害賠償及び遅延損害金の支払いを求めて、訴えを提起しました。

原審は、財産目録にX主張の相続債務の記載を脱漏したとしても本件限定承認を無効とする事由にはならないし、本件限定承認が有効である以上、YらはXに対し本件土地について所有権移転登記をすべき義務を負わなくなったと判断して、Xの請求を棄却しました。

本判決の内容(抜粋)

最高裁昭和61年3月20日第一小法廷判決
 民法九二一条三号にいう「相続財産」には、消極財産(相続債務)も含まれ、限定承認をした相続人が消極財産を悪意で財産目録中に記載しなかったときにも、同号により単純承認したものとみなされると解するのが相当である。けだし、同法九二四条は、相続債権者及び受遺者(以下「相続債権者等」という。)の保護をはかるため、限定承認の結果清算されるべきこととなる相続財産の内容を積極財産と消極財産の双方について明らかとすべく、限定承認の申述に当たり家庭裁判所に財産目録を提出すべきものとしているのであって、同法九二一条三号の規定は、右の財産目録に悪意で相続財産の範囲を偽る記載をすることは、限定承認手続の公正を害するものであるとともに、相続債権者等に対する背信的行為であって、そのような行為をした不誠実な相続人には限定承認の利益を与える必要はないとの趣旨に基づいて設けられたものと解されるところ、消極財産(相続債務)の不記載も、相続債権者等を害し、限定承認手続の公正を害するという点においては、積極財産の不記載との間に質的な差があるとは解し難く、したがって、前記規定の対象から特にこれを除外する理由に乏しいものというべきだからである。
 そうすると、原審の確定した前記の事実関係によると、本件売買に基づくDの上告人に対する義務は、未だ履行されていなかったのであるから、相続債務(消極財産)として財産目録に計上されるべきものと考えられるところ、上告人の前記の主張の趣旨とするところは、不明確ながらも、被上告人らは悪意で右相続債務を財産目録に記載しなかったものであって同法九二一条三号に該当し、これによって単純承認の効果を生じたものであることを前提として、被上告人らがFに本件登記をしたことにつき、第一次的に不法行為を理由とし、第二次的に債務不履行を理由として損害賠償を求めるというにあるものと解されるから、以上の説示に照らし、原審としては、右相続債務の財産目録への記載の有無、不記載の場合の被上告人らの悪意、被上告人らそれぞれの相続分等を確定し、上告人の前記各請求の当否につき判断を加えるべきであったというべきところ、これと異なる見解に基づき、右の点につき審理を尽くすことなく、財産目録に上告人主張の相続債務の記載が脱漏していても本件限定承認を無効とする事由にはならないとして、消極財産の不記載は単純承認をしたものとみなされる事由に当たらないとの趣旨を判示したことに帰する原判決には、法令の解釈適用の誤り、審理不尽ひいて理由不備の違法があるものというべきである。

前提知識と簡単な解説

相続の承認及び放棄について

相続は、被相続人の死亡によって開始し(民法882条)、相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継するものとされています(民法896条本文)。
一方で、相続人は相続の承認又は放棄の選択をすることが認められており、相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内に(「熟慮期間」といいます。)、相続について承認又は放棄をすることができます(民法915条1項本文)。

相続の放棄をしようとする者は、その旨を家庭裁判所に申述しなければなりません(民法938条)。相続の放棄をした者は、その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなされます(民法939条)。

限定承認をしようとする者は、相続財産の目録を作成して過程裁判所に提出し、限定承認をする旨を申述しなければなりません(民法924条)。相続人が数人あるときは、限定承認は、共同相続人の全員が共同してする必要があります(民法923条)。
限定承認をした相続人は、相続によって得た財産の限度においてのみ、被相続人の相続債権者及び受遺者に対する責任を引き受けます(民法922条)。

限定承認の清算手続について

限定承認者は、限定承認をした後5日以内に、すべての相続債権者及び受遺者に対し、限定承認をしたこと及び一定の期間内にその請求の申出をすべきことを公告します(民法927条1項前段)。公告期間満了後、相続財産をもって、その期間内に申出をした相続債権者その他知れている相続債権者に、それぞれの債権額の割合に応じて弁済をすることになります(民法929条本文)。

単純承認について

単純承認によって、相続人は、無限に被相続人の権利義務を承継します(民法920条)。
民法は、次の場合には、相続人は単純承認をしたものとみなすと規定しています(民法921条)。
(1) 相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし、保存行為及び民法602条に定める期間を超えない賃貸借をする場合を除きます(同条1号)。
(2) 相続人が民法915条1項の期間内に限定承認又は相続の放棄をしなかったとき(同条2号)。
(3) 相続人が、限定承認又は相続の放棄をした後であっても、相続財産の全部若しくは一部を隠匿し、私にこれを消費し、又は悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき。ただし、その相続人が相続の放棄をしたことによって相続人となった者が相続の承認をした後は、この限りではありません(同条3号)。

本判決の意義

本判決は、民法921条3号の趣旨について、「財産目録に悪意で相続財産の範囲を偽る記載をすることは、限定承認手続の公正を害するものであるとともに、相続債権者等に対する背信的行為であって、そのような行為をした不誠実な相続人には限定承認の利益を与える必要はないとの趣旨に基づいて設けられたもの」と解した上で、「消極財産(相続債務)の不記載も、相続債権者等を害し、限定承認手続の公正を害するという点においては、積極財産の不記載との間に質的な差があるとは解し難」いことから、「民法九二一条三号にいう「相続財産」には、消極財産(相続債務)も含まれ」ると判示しました。