事案の概要

  • Aは、昭和61年6月22日、罫線が印刷された1枚の用紙に同人の遺産の大半を被上告人Yに相続させる内容の本件遺言の全文、日付及び氏名を自書し、氏名の末尾に同人の印を押して,本件遺言書を作成した。
  • Aは、平成14年5月に死亡した。その後、本件遺言書が発見されたが、その時点で,本件遺言書には、その文面全体の左上から右下にかけて赤色のボールペンで1本の斜線(以下「本件斜線」という。)が引かれていた。本件斜線は、Aが故意に引いたものである。

Aの子である上告人Xは、Aが本件遺言書の全体を故意に破棄したから、本件遺言はその全体が撤回されたものとみなされ、無効であると主張して、Yに対して、本件遺言が無効であることの確認を求めた。

原審は、上記事実関係の下において、本件斜線が引かれた後も本件遺言書の元の文字が判読できる状態である以上、本件遺言書に故意に本件斜線を引く行為は,民法1024条前段により遺言を撤回したものとみなされる「故意に遺言書を破棄したとき」には該当しないとして、Xの請求を棄却すべきものとした。

本判決の内容(抜粋)

最高裁平成27年11月20日第二小法廷判決
 民法は,自筆証書である遺言書に改変等を加える行為について,それが遺言書中の加除その他の変更に当たる場合には,968条2項所定の厳格な方式を遵守したときに限って変更としての効力を認める一方で,それが遺言書の破棄に当たる場合には,遺言者がそれを故意に行ったときにその破棄した部分について遺言を撤回したものとみなすこととしている(1024条前段)。そして,前者は,遺言の効力を維持することを前提に遺言書の一部を変更する場合を想定した規定であるから,遺言書の一部を抹消した後にもなお元の文字が判読できる状態であれば,民法968条2項所定の方式を具備していない限り,抹消としての効力を否定するという判断もあり得よう。ところが,本件のように赤色のボールペンで遺言書の文面全体に斜線を引く行為は,その行為の有する一般的な意味に照らして,その遺言書の全体を不要のものとし,そこに記載された遺言の全ての効力を失わせる意思の表れとみるのが相当であるから,その行為の効力について,一部の抹消の場合と同様に判断することはできない。
 以上によれば,本件遺言書に故意に本件斜線を引く行為は,民法1024条前段所定の「故意に遺言書を破棄したとき」に該当するというべきであり,これによりAは本件遺言を撤回したものとみなされることになる。したがって,本件遺言は,効力を有しない。

前提知識と簡単な解説

遺言の方式について

遺言者の真意を確保するため、遺言は、民法が定める厳格な方式に従うことを要します(民法960条)。
遺言は、特別な方式によることを許す場合を除いては(民法967条ただし書)、自筆証書、公正証書又は秘密証書によってしなければなりません(民法967条本文)。

自筆証書遺言の方式

自筆証書遺言は、遺言者がその全文、日付及び氏名を自書し、これに押印しなければなりません(民法968条1項)。

自筆証書遺言の加除変更の方式

自筆証書中の加除その他の変更は、遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押すことが必要とされています(民法968条2項)。

遺言を撤回したものとみなされる場合

遺言者は、いつでもその遺言の全部又は一部を撤回することができますが、原則として、遺言の方式に従うことが必要とされています(民法1022条)。
もっとも、遺言者が故意に遺言書を破棄したときは、その破棄した部分については、遺言を撤回したものとみなされます(民法1024条前段)。

本判決の意義

上記のとおり、自筆証書の「変更」(民法968条2項)と遺言書の「破棄」(民法1024条前段)では要件が異なることから、本件のように赤色のボールペンで遺言書の文面全体に斜線を引く行為が、「変更」と「破棄」のいずれに当たるかが問題となります。
この点について、通説的見解は、「破棄」が、有機的破棄の場合のほか「遺言書を抹消して内容を識別できない程度にすること」をも含むとしつつも、「下の文字を判読できる程度の抹消であれば、破棄ではなく、変更ないし訂正として一定の形式を備えない限り、元の文字が効力をもつ」と解していました(山本正憲『新版注釈民法(28)』)。
これに対して、本判決は、「その行為の有する一般的な意味に照らして,その遺言書の全体を不要のものとし,そこに記載された遺言の全ての効力を失わせる意思の表れとみるのが相当である」と述べた上で、「本件遺言書に故意に本件斜線を引く行為は,民法1024条前段所定の「故意に遺言書を破棄したとき」に該当するというべきであり,これによりAは本件遺言を撤回したものとみなされる」と判断しました。

なお、本事案では、本件斜線はAが故意に引いたものであることが認定されています。
しかし、一般的には、誰が斜線を引いたかの認定が困難である場合も多いと考えられます。したがって、実務上は、文面全体に斜線が引かれた遺言書が発見されたとしても、直ちに無効な遺言書と判断されるわけではないことに留意する必要があると思われます。