事案の概要
- Dは、平成5年11月10日に死亡した。Dの相続人は、実子である上告人Xら及び同年3月11日にDと養子縁組をした被上告人Yである。
- Dは、昭和63年7月20日付け公正証書遺言をもって、本件不動産の所有権及び共有持分を含む全財産をYに遺贈していた。
- Xらは、平成6年2月9日、Dの遺言執行者から右公正証書の写しの交付を受け、減殺すべき遺贈があったことを知った。
- Xらの代理人である小川弁護士は、同年9月14日、Yに対し、「貴殿のご意向に沿って分割協議をすることにいたしました。」と記載した同日付けの普通郵便(以下「本件普通郵便」という。)を送付し、Yは、そのころこれを受領した(なお、Yは、第一審において、本件普通郵便が遺産分割協議を申し入れる趣旨のものであることを認める陳述をしている。)。
- Yは、本件普通郵便を受領した後、相談のために平野弁護士を訪れ、遺留分減殺について説明を受けた。
- 小川弁護士は、同年10月28日、Yに対し、遺留分減殺の意思表示を記載した内容証明郵便(以下「本件内容証明郵便」という。)を発送したが、Yが不在のため配達されなかった。Yは、不在配達通知書の記載により、小川弁護士から書留郵便(本件内容証明郵便)が送付されたことを知ったが、仕事が多忙であるとして受領に赴かなかった。そのため、本件内容証明郵便は、留置期間の経過により小川弁護士に返送された。
- Yは、同年11月7日、小川弁護士に対し、多忙のために右郵便物を受け取ることができないでいる旨及び遺産分割をするつもりはない旨を記載した書面を郵送しており、本件内容証明郵便の内容が本件遺産分割に関するものではないかと推測していた。
- 小川弁護士は、平成7年3月14日、Yに対し、Xらの遺留分を認めるか否かを照会する同日付けの普通郵便を送付し、Yは、遅くとも同月16日までにこれを受領したが、この時点では、既に平成6年2月10日から民法1042条前段所定の1年の消滅時効期間が経過していた。なお、Xらは、終始、前記遺贈の効力を争っていなかった。
本判決の内容(抜粋)
- 最高裁平成8年6月11日第一小法廷判決
- 二 上告理由一は、本件普通郵便による申入れが遺留分減殺の意思表示を包含するか否かの争点に関するものである。
1 原審は、この点につき、被上告人は本件普通郵便を受け取る前に上告人らから遺留分減殺の意向を示されておらず、本件普通郵便の内容は、極めて簡単なものであって、上告人らが遺留分減殺請求権を行使することについては全く触れられていないから、遺留分減殺の意思表示を含むものとはいえないと判断した。
2 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(一)遺産分割と遺留分減殺とは、その要件、効果を異にするから、遺産分割協議の申入れに、当然、遺留分減殺の意思表示が含まれているということはできない。しかし、被相続人の全財産が相続人の一部の者に遺贈された場合には、遺贈を受けなかった相続人が遺産の配分を求めるためには法律上、遺留分殺によるほかないのであるから、遺留分減殺請求権を有する相続人が、遺贈の効力を争うことなく、遺産分割協議の申入れをしたときは、特段の事情のない限り、その申入れには遺留分減殺の意思表示が含まれていると解するのが相当である。
(二)これを本件について見るに、前記一の事実関係によれば、Dはその全財産を相続人の一人である被上告人に遺贈したものであるところ、上告人らは、右遺贈の効力を争っておらず、また、本件普通郵便は、遺留分減殺に直接触れるところはないが、少なくとも、上告人らが、遺産分割協議をする意思に基づき、その申入れをする趣旨のものであることは明らかである。そうすると、特段の事情の認められない本件においては、本件普通郵便による上告人らの遺産分割協議の申入れには、遺留分減殺の意思表示が含まれていると解するのが相当である。
(三)以上と異なる原審の判断には、遺留分減殺に関する意思表示の解釈を誤った違法があるといわざるを得ず、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点に関する論旨は、理由がある。
三 上告理由二は、本件内容証明郵便による遺留分減殺の意思表示が被上告人に到達したか否かの争点に関するものである。
1 原審は、前記一の事実関係の下において、次のとおり判示して、右意思表示の到達を否定した。
すなわち、本件普通郵便を受け取ったことによって、被上告人において、上告人らが遺留分に基づいて遺産分割協議をする意思を有していると予想することは困難であり、被上告人としては、小川弁護士から本件内容証明郵便が差し出されたことを知ったとしても、これを現実に受領していない以上、本件内容証明郵便に上告人らの遺留分減殺の意思表示が記載されていることを了知することができたとはいえない。そうすると、本件内容証明郵便が留置期間経過によって小川弁護士に返送されている以上、一般取引観念に照らし、右意思表示が被上告人の了知可能な状態ないし勢力範囲に置かれたということはできず、また、上告人らとしては、直接被上告人宅に出向いて遺留分減殺の意思表示をするなどの他の方法を採ることも可能であったというべきであり、上告人らの側として常識上なすべきことを終えたともいえない。さらに、被上告人において、正当な理由なく上告人らの遺留分減殺の意思
表示の受領を拒絶したと認めるに足りる証拠もない。
2 しかしながら、原審の右判断も是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(一)隔地者に対する意思表示は、相手方に到達することによってその効力を生ずるものであるところ(民法九七条一項)、右にいう「到達」とは、意思表示を記載した書面が相手方によって直接受領され、又は了知されることを要するものではなく、これが相手方の了知可能な状態に置かれることをもって足りるものと解される(最高裁昭和三三年(オ)第三一五号同三六年四月二〇日第一小法廷判決・民集一五巻四号七七四頁参照)。
(二)ところで、本件当時における郵便実務の取扱いは、(1)内容証明郵便の受取人が不在で配達できなかった場合には、不在配達通知書を作成し、郵便受箱、郵便差入口その他適宜の箇所に差し入れる、(2)不在配達通知書には、郵便物の差出人名、配達日時、留置期限、郵便物の種類(普通、速達、現金書留、その他の書留等)等を記入する、(3)受取人としては、自ら郵便局に赴いて受領するほか、配達希望日、配達場所(自宅、近所、勤務先等)を指定するなど、郵便物の受取方法を選択し得る、(4)原則として、最初の配達の日から七日以内に配達も交付もできないものは、その期間経過後に差出人に還付する、というものであった(郵便規則七四条、九〇条、平成六年三月一四日郵郵業第一九号郵務局長通達「集配郵便局郵便取扱手続の制定について」別冊・集配郵便局郵便取扱手続二七二条参照)。
(三)前記一の事実関係によれば被上告人は、不在配達通知書の記載により、小川弁護士から書留郵便(本件内容証明郵便)が送付されたことを知り(右(二)(2)参照)、その内容が本件遺産分割に関するものではないかと推測していたというのであり、さらに、この間弁護士を訪れて遺留分減殺について説明を受けていた等の事情が存することを考慮すると、被上告人としては、本件内容証明郵便の内容が遺留分減殺の意思表示又は少なくともこれを含む遺産分割協議の申入れであることを十分に推知することができたというべきである。また、被上告人は、本件当時、長期間の不在、その他郵便物を受領し得ない客観的状況にあったものではなく、その主張するように仕事で多忙であったとしても、受領の意思があれば、郵便物の受取方法を指定することによって(右(二)(3)参照)、さしたる労力、困難を伴うことなく本件内容証明郵便を受領することができたものということができる。そうすると、本件内容証明郵便の内容である遺留分減殺の意思表示は、社会通念上、被上告人の了知可能な状態に置かれ、遅くとも留置期間が満了した時点で被上告人に到達したものと認めるのが相当である。
(四)以上と異なる原審の判断には、意思表示の到達に関する法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点に関する論旨も、理由がある。
四 以上のとおり、原判決はいずれの点からしても破棄を免れず、上告人らが被上告人に対して遺留分減殺の意思表示をしたことを前提として改めて審理をさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
前提知識と簡単な解説
遺贈及び贈与の減殺請求
遺留分とは、一定の相続人のために留保されなければならない遺産の一定割合をいいます。遺留分は、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加えた額から債務の全額を控除して、これを算定します(民法1029条1項)。
遺留分権利者及びその承継人は、遺留分を保全するのに必要な限度で、遺贈及び1030条に規定する贈与の減殺を請求することができます(民法1031条)。
遺留分減殺請求権の行使は受贈者または受遺者に対する意思表示によってなせば足り、必ずしも裁判上の請求による必要はありません(最高裁昭和41年7月14日第一小法廷判決)。
減殺請求権の消滅時効
遺留分減殺請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から、1年間これを行わないときは、時効によって消滅し、相続の開始の時から10年を経過したときも、同様に消滅します(民法1042条)。
隔地者に対する意思表示
隔地者に対する意思表示は、原則として、その通知が相手方に到達した時からその効力を生ずるものとされています(民法97条1項)。到達は、相手方によって受領され、又は了知されることを要するものではなく、相手方の了知可能な状態に置かれることをもって足りると解されています(最高裁昭和36年4月20日第一小法廷判決)。
本判決の意義
本判決は、遺留分減殺の意思表示と遺産分割協議の申入れとの関係につき、「遺産分割協議の申入れに、当然、遺留分減殺の意思表示が含まれているということはできない」としつつ、
「被相続人の全財産が相続人の一部の者に遺贈された場合には、遺贈を受けなかった相続人が遺産の配分を求めるためには法律上、遺留分殺によるほかないのであるから、遺留分減殺請求権を有する相続人が、遺贈の効力を争うことなく、遺産分割協議の申入れをしたときは、特段の事情のない限り、その申入れには遺留分減殺の意思表示が含まれていると解する」と判示しました。
また、内容証明郵便が留置期間の経過により還付された場合に意思表示の到達が認められるかという点について、本件内容証明郵便の内容を十分に推知することができたことや、さしたる労力、困難を伴うことなく本件内容証明郵便を受領することができたことを理由として、「社会通念上、被上告人の了知可能な状態に置かれ、遅くとも留置期間が満了した時点で被上告人に到達したものと認めるのが相当である」と判示しました。
追記:平成29年民法(債権関係)改正について
平成29年民法改正により、意思表示の到達が妨げられた場合に関する規定が新設されました。すなわち、相手方が正当な理由なく意思表示の通知が到達することを妨げたときは、その通知は、通常到達すべきであった時に到達したものとみなされます(民法97条2項)。
追記:平成30年民法(相続関係)改正について
平成30年民法改正により、遺留分権利者の権利行使によって金銭債権が生ずるものとされました(民法1046条1項)。
改正法の下では、形成権としての遺留分侵害額請求権は遺留分権利者が、相続の開始及び遺留分を侵害する贈与又は遺贈があったことを知ったとき時から1年間行使しないときは、時効によって消滅し(民法1048条前段)、相続開始の時から10年を経過したときも、同様に消滅するものとされています(民法1048条後段)。そして、遺留分侵害額請求権の行使によって生じた金銭債権については、通常の金銭債権と同様に、民法166条1項の規律に従って、消滅時効にかかることになります(堂薗幹一郎・野口宣大『一問一答新しい相続法』)。