本判決の内容(抜粋)

最高裁平成9年7月15日第三小法廷判決
 請負人の報酬債権に対し注文者がこれと同時履行の関係にある目的物の瑕疵修補に代わる損害賠償債権を自働債権とする相殺の意思表示をした場合、注文者は、請負人に対する相殺後の報酬残債務について、相殺の意思表示をした日の翌日から履行遅滞による責任を負うものと解するのが相当である。
 けだし、瑕疵修補に代わる損害賠償債権と報酬債権とは、民法六三四条二項により同時履行の関係に立つから、注文者は、請負人から瑕疵修補に代わる損害賠償債務の履行又はその提供を受けるまで、自己の報酬債務の全額について履行遅滞による責任を負わないと解されるところ(最高裁平成五年(オ)第一九二四号同九年二月一四日第三小法廷判決・民集五一巻二号登載予定)、注文者が瑕疵修補に代わる損害賠償債権を自働債権として請負人に対する報酬債務と相殺する旨の意思表示をしたことにより、注文者の損害賠償債権が相殺適状時にさかのぼって消滅したとしても、相殺の意思表示をするまで注文者がこれと同時履行の関係にある報酬債務の全額について履行遅滞による責任を負わなかったという効果に影響はないと解すべきだからである。もっとも、瑕疵の程度や各契約当事者の交渉態度等にかんがみ、右瑕疵の修補に代わる損害賠償債権をもって報酬債権全額との同時履行を主張することが信義則に反するとして否定されることもあり得ることは、前掲第三小法廷判決の説示するところである。

前提知識と簡単な解説

金銭債務の遅滞の責任

金銭債務の不履行による損害賠償金を「遅延損害金」といいます。
遅延損害金の額は、法定利率によります(民法419条1項本文)。ただし、法定利率を超える約定利率が定められているときは、約定利率によることとなります(民法419条1項ただし書)。
債権者が遅延損害金を請求するには損害の証明をすることを要せず、債務者は不可抗力をもって支払を拒むことはできません(民法419条2項)。

遅延損害金が発生するのは、履行遅滞となった時からです。履行遅滞となる時期は、(a) 確定期限のある債務については、その期限の到来した時(民法412条1項)、(b) 不確定期限のある債務については、債務者が期限の到来を知った時(民法412条2項)、(c) 期限の定めのない債務については、債務者が履行の請求を受けた時(民法412条3項)とされています。

請負人の担保責任

仕事の目的物に瑕疵があるときは、注文者は、請負人に対し、相当の期間を定めて、その瑕疵の修補を請求することができます(民法634条1項本文)。ただし、瑕疵が重要でない場合において、その修補に過分の費用を要するときは、この限りではありません(民法634条1項ただし書)。
注文者は、瑕疵の修補に代えて、又はその修補とともに、損害賠償の請求をすることができます(民法634条2項前段)。この場合には、注文者の損害賠償請求権と請負人の報酬債権は同時履行の関係に立ちます(民法634条2項後段において準用する民法533条)。

同時履行の抗弁

双務契約の当事者の一報は、相手方がその債務の履行を提供するまでは、自己の債務の履行を拒むことができます(民法533条本文)。同時履行の関係にあることの効果として、自己の債務を履行しなくても、履行遅滞の責任を負うことはなく、遅延損害金は発生しません。

同時履行の抗弁をもって履行を拒絶できる範囲

請負契約において、仕事の目的物に瑕疵があり、注文者が請負人に対して瑕疵の修補に代わる損害の賠償を求めたが、契約当事者のいずれからも右損害賠償債権と報酬債権とを相殺する旨の意思表示が行われなかった場合又はその意思表示の効果が生じないとされた場合には、特段の事情がない限り、注文者は、瑕疵の修補に代わる損害賠償を受けるまでは、報酬全額の支払いを拒むことができるとされています(最高裁平成9年2月14日第三小法廷判決)。

同時履行の抗弁と相殺

自働債権に同時履行の抗弁権が付着している場合には相殺できないのが原則ですが(大審院昭和13年3月1日判決)、請負人の注文者に対する報酬債権と注文者の請負人に対する瑕疵修補に代わる損害賠償請求権は、相互に現実の履行をさせなければならない特別の利益があるものとは認められず、清算的調整を図ることが当事者双方の便宜と公平にかなうこと等の理由から、相殺が認められています(最高裁昭和53年9月21日第一小法廷判決)。

本判決の意義

本件では、請負人の報酬債権に対し注文者がこれと同時履行の関係にある瑕疵修補に代わる損害賠償債権を自働債権とする相殺の意思表示をした場合に、注文者が、相殺後の報酬残債務について、いつから履行遅滞による責任を負うかが問題となりました。
この点について、本判決は、「相殺の意思表示をした日の翌日から履行遅滞による責任を負う」と判示しました。