民法第95条
  1. 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
    1. 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
    2. 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
  2. 前項第二号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。
  3. 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第1項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
    1. 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。
    2. 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。
  4. 第1項の規定による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。
平成29年改正前民法第95条
意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。

条文の趣旨と解説

錯誤の類型

錯誤の類型として、(1) 意思決定がされてからそれを表示するまでにされた誤解・誤判断である「表示行為の錯誤」と、(2) 意思決定をするに至るまでの原因・動機・目的の段階で誤解があった「動機の錯誤」に分類することができます(四宮和夫・能見善久『民法総則(第9版)』)。

動機の錯誤

このうち動機の錯誤の場合には、表示行為に対応する意思が存することから、平成29年改正前の民法下においては、動機の錯誤が改正前民法95条の「錯誤」に含まれるのかどうかが問題となりましたが、一定の場合には、動機の錯誤も改正前民法95条の対象となると考える見解が有力となっていました。また、改正前民法下における判例では「意思表示をなすについての動機は表意者が当該意思表示の内容としてこれを相手方に表示した場合でない限り法律行為の要素とはならない」と述べるものがあり(最高裁昭和29年11月26日第二小法廷判決)、動機の錯誤も改正前民法95条の対象となりうるが、表意者の動機が表示されていたか否かを一つの基準として重視しているものと考えられていました。
改正民法は、動機の錯誤も取消しの対象となることを規定した上で(本条1項2号)、動機の錯誤を主張するための付加的な要件として、判例法理も参考にしつつ、「その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていた」ことを必要とするものとしています(本条2項)。

因果関係と客観的な重要性

改正前民法95条が要件として規定する「法律行為の要素に錯誤」とは、意思表示の内容の主要部分であって、この点について錯誤がなかったならば意思を表示しなかったであろうと考えられ、かつ、意思を表示しないことが一般取引上の通念に照らして当然であると認められるものをいうと解されていました(大審院大正7年10月3日判決)。
改正民法は、改正前民法における「法律行為の要素に錯誤」の内容を、判例法理に従って具体化しました。すなわち、本条1項の「次に掲げる錯誤に基づくもの」という要件により、事実的な因果関係を判断し、「その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるとき」という要件により、客観的な重要性を判断するものとしています(法制審議会民法(債権関係)部会『部会資料83-2』)。

表意者に重過失がある場合

錯誤が表意者の重大な過失による場合には、原則として意思表示の取消しを主張することができません(本条3項)。
しかし、例外的に、(1) 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき(同項1号)、または (2) 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき(同項2号)は、表意者に重過失がある場合であっても、表意者は意思表示の取消しを主張することが認められます。この例外を定める規律は、改正前民法下における通説ないし有力な見解を明文化したものです(『民法(債権関係)の改正に関する中間試案の補足説明』)。

錯誤の効果

錯誤の要件を満たす場合、表意者又はその代理人若しくは承継人(120条2項)は、当該意思表示を取り消すことができます。

改正前民法95条は、錯誤による意思表示の効果を「無効」としていましたが、改正民法では、「取消し」に改めています(本条1項)。この理由としては、改正前民法下における判例も「第三者において錯誤に基づく意思表示の無効を主張することは、原則として許されない」(最高裁昭和40年9月10日第二小法廷判決)として、取消しに近似する扱いをしてきたこと、また、無効の主張期間に制限がない点では表意者にとって取消しよりも有利になるが、錯誤者を例えば詐欺によって意思表示をした者以上に保護すべき合理的な理由はないと考えられたことが挙げられています(『民法(債権関係)の改正に関する中間試案の補足説明』)。

第三者保護規定

改正前民法においては、錯誤による意思表示を前提として新たに利害関係を有するに至った第三者を保護する規定がなく、錯誤無効を第三者に対抗することができるかどうか、また保護される第三者の要件について見解は分かれていました。
改正民法は、第三者が保護されるための要件に関する規定を新たに設け、錯誤による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができないと規定しています(本条4項)。

条文の位置付け