梅の花

ぼくは本を読むことが目的になっていた

学校では、本を読むことは大切なことだと教えられます。
知識は増えるし、さまざまな価値観にも接することができますね。

ぼくも本を読むことは良いことだと思っていたから、手当たり次第、本を読んでいました。
とくに大学生の頃は、時間だけはたっぷりとあったから、午前は(講義の最中に)新書を読んで、昼すぎは(講義の最中に)小説を読んで、家に帰ったら専門書を読んで、まさに活字づくしの生活を送っていました。

あの頃をふりかえると、本を読むことで、じぶんは成長しているんだと、かってに信じ込んでいたような気がします。
読んだ本の数を増やすことが目的になってたようにも思います。

読書について

そんなぼくが大きな衝撃を受けた本があります。
ショウペンハウエル『読書について』(岩波文庫)という本です。

ショウペンハウエルはドイツの哲学者です。
哲学者といえば、書物を崇拝しているイメージがありました。
『読書について』も本の読み方が書かれているのだろうと思って読み始めました。

でも書かれていたことは想像と違っていました。
ショウペンハウエルは「読書は思索の代用品にすぎない」と読書を表現していました。

読書は他人にものをかんがえてもらうこと。
読書はただ自分の思想がとだえた時にのみ試みるべき。

つまり、まずはじぶんの頭で物事を考えられるようになりなさい、と。

もちろん、思索に秀でた哲学者と同じことができるとは思いません。
でも、ぼくのこれまでの読書のしかたは、なにも考えずに本を手にして、盲目的に字面を追っているだけで、じぶんの頭を使っていなかったかもしれないと反省したのです。

本を読み始める前に

それ以来、本を読む前に、その本に書かれているテーマについて、じぶんなりに考え、きっちりと意見をもってから読み始めることにしました。

たとえば本の題名から連想して、いまじぶんが持っている知識を思いつくかぎり並べてみて、問題点を考え、じぶんなりの推論を立て、そのあとに本を読み始めます。

そうすることで、じぶんの意見と著者の考え方の違いや、これまで知らなかった知識が明白になって、本から得られる知識やものの見方が変わったように思います。

そして、本を読むのがもっと楽しくなってきました。