栃木の佐野プレミアム・アウトレットで買い物をした帰りに、隣にある足利市を巡ってみた。足利の中心地には、日本最古の学校といわれる史跡「足利学校」がある。当時の校舎が再現されて足利の観光地となっているのだ。学校の周りは、石畳の道路の両側をカフェや雑貨屋などの店が並ぶ風情ある街並みとなっているから、ぶらっと散歩するのも楽しい。
足利学校は、室町時代の関東管領である上杉憲実という人物が、書籍を寄進し、また高名な僧を教育者として招くなどして、その礎が築かれた。その後、全国から学生が集まるようになり、学生数は三千といわれるほどに隆盛を極め、フランシスコ・ザビエルによっても「日本国中最も大にして最も有名」などと海外に紹介された。
なぜ足利に歴史的に有名な学校ができたのか。
実は、足利学校がいつ誰によって創設されたかは解明されていない。だから、なぜ足利に学校が創設されたのかも分かっていない。ただ、政治や経済の中心地ではなかった足利という地に、世界にまで名を揚げる学校が存在したという事実は、ここでの教育が全国からみても優れていたことが窺い知れる。そして、その教育の高度さを理解し、全国から学問を志して足利まで訪れた日本人の学習への意欲の高さにも驚かされる。
学校の中庭には「字降松(かなふりまつ)」という有名な松がある。学生が読めない文字に出会ったとき、紙に書いてこの松にくくりつけておくと、翌日には、和尚の手でふり仮名や注釈が記されていたので、字降松と呼ばれるようになったという。
史跡の中を歩いていると、蛍の光を明かりにして学問に励んでいた学生の姿が目に浮かぶ。当時の学生は何を考えて学んでいたのだろうか。教育の内容は時代の要請で変化する。現に、足利学校の教育の中心は儒教であったが、戦乱の世になってくると、戦を占う易学が盛んになったそうだ。
「教育」について考えさせられる観光スポットは全国的にみても少ないように思う。足利市も、論語の素読体験や論語研究会などを開催し、「学び舎のまち」としての魅力を高める方策を実施しているようである。
→ </>史跡足利学校(足利市公式ホームページ)
ちなみに足利学校の近くには藤の花で有名な足利フラワーパークがある。私が訪れた時期には、残念ながら藤の花の満開には早かったが、園内に咲き誇る花を楽しむことができた。