じぶんの仕事に、自信がもてなくなることがあると思います。
社会にとって価値があるのだろうか、とか、
ひとに喜んでいてもらえているのだろうか、とか。
そんなとき、本を読んだり、先輩に話を聞きに行ったりするかもしれません。
人生の大部分を占める仕事について、
たしかな価値観をもつことは大事なことだと思います。
ぼくの仕事の意味って
お昼にひとりでカウンターで食事をしていたら、
隣に座った二人組の男性の会話が聞こえてきて、こんなふうなことを言っていました。
「弁護士っていうのは、人の不幸を飯の種にしているんだから、卑しい職業だよ」
そのあとも、ふたりの男性の会話は続いていたけれど、
その人がいうには、困っている人からお金をとることが卑しいということのようでした。
たしかに揉め事や裁判で困っている人からお金をもらっているという事実はありますが、
「卑しい」かどうかの判断基準は人それぞれですから、それほど気にする必要はなかったかもしれません。
ただ、じぶんの仕事の意味について、
ぼくは満足のいく答えを持っているだろうかと、悩むきっかけとなりました。
夏目漱石も文学に疑問を抱えていた
時代は変わりますが、夏目漱石も文学の意味について悩んでいた時期があったと、
『私の個人主義』という本に書かれています。
『私の個人主義』という本は、夏目漱石の講演集です。
この講演のなかでは、漱石自身がその悩みをどのように乗り越えたのかについても語られています。
ただし、勉強だけでは、文学とはどういうものかがまるで解らなかったといいます。
私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射して来ないかしらんという希望よりも、此方から探照燈を用いてたった一条で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にして何方の方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。
夏目漱石は、どんなに文芸に関する書物を読んでも答えを見つけることができず、
書物を読んでも腹の足しにはならないのだと諦めかけていたとき、悟ったそうです。
この時私は初めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるより外に、私を救う途はないのだと悟ったのです。今までは全く他人本位で、根のない浮き草のように、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事にようやく気が付いたのです。
それから夏目漱石は、自力でじぶんなりの価値観を築き上げていったそうです。
私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新しく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。
明治時代から仕事の価値観について悩むことがあったんだと思うと、
いま抱えている悩みも小さく感じられますね。
まとめ
仕事の意味について悩み始めたら、
じぶんの言葉で意味を見いだしていくしかないようですね。
ぼくも仕事に対するじぶんなりの拠りどころを見つけていきたいと思います。